歌詞点歩 インタビュー。/音毒宣言

 歌詞点歩について、もう少し、書いておこうと思う。

歌詞点歩で目指したものは、いままでと違う歌詞。人に対するものが中心となっていたと思う。いままでは、なんだろうか、社会のシステムとか、傾向とかに対するものダッタと思う。今回もその路線で言っても良かったのだが、あえて、三部作のラストは人をテーマしてみた。
 そもそも、あしがるの未制作音源の制作として始まった、この録音作業。ファーストの時点でその任務は完了していた。
つづく無電波放送では部分的な再生として活動も出来。セカンドと今回のサードにおける制作意図というのは、蛇足の様に見えてしまうが、ファーストと無電波の時に、この音楽ではない、音毒というジャンルをわしは続けようと思った。
セカンドではかろうじて、あしがる時代の楽曲が収録された。そして、今作には一切あしがるサウンズはない。あしがるという音毒をつくるきっかけになったバンド。三部作の最後に、あしがる時代のものをいれなかったのは、ファーストと無電波では、あしがるに対する未練を表し、セカンドでは、あしがるからの少しの発展を見せる。サードで打ち出したのは脱却、そして排除。元あしがるとしてではなく、完全なるソロワークとしての幕開けだった。
本当は昨年の時点で三部作は完結するはずダッタ。ファーストのあとに企画モノをはさんでしまった事で、一年遅れてしまったのだが、企画盤はファーストとセットで考えていい。で、まあ、今作でやっとサードになった訳でね。めでたく三部作を完結させられたということ。
しかし、あしがるの詞はまだまだ残っている。今後は脱却から再確認へ向けて進んでいくのかもしれない。
あしがるで再びやることは望んでも不可能であろう。それに、あのコロのノリなんていうのは取り戻せない。あのときの感覚も。
だからこそ、やっておくべきだったのかもしれない。
人数増加は身動きが取れなくなるそれだけがあしがるの教訓だったのかもしれない。

今後、音毒の第一人者として、音毒の定義や音毒の発展を助けていくつもりだ。音毒宣言を最後に書いて、今回は終わりにしようと思う。今後もわしは時間の許す限りは制作をする予定である。そして、後継者探しも




音毒宣言


音楽から枠をはずれ、耳に毒=騒音にも聴こえるような音、それに詞をつけて歌っていく。それを音毒と名付けた。そして、これを広めたい。よって以下の3つを音毒宣言とする。
1、とにかく楽しく
2、音楽的知識をあまり考えない
3、決まりきらない