ipad。任天堂の嫉妬

 日本でもipadが発売された訳で、わき上がっている。わしも先日、触りにいこうと思っていたのに、行けてないんだが。アップルのの事だから反応は良いであろう。その内、触りたいもんですな/
 で、わしは、発表されてから未来を感じずにはいられなかった。近い未来紙類をああいったカタチで読むのではないかと想像してた。まあ、ネット時代なのにメモリーカードが新聞代わりに届いて再生するというのを考えていたんだが、今思えばネットあんだろと突っ込みたくなる。
 しかし、ある事に気づいた。そう、タッチパネルと言えば任天堂もあったなと。というより、タッチパネルの普及に一役買ったとも思われるニンテンドーDSの存在だ。かの有名な横井軍平氏の「枯れた葉の水平思考」で生み出された、DS。たしかにでる前のタッチパネルはもうすでに安定期に入っていた様にも思えた。で、それを任天堂は利用し、娯楽商品を生み出したのだ。開発の時点では、画面だけでタッチだけで遊べるカタチにしたいと考えていたというのを読んだ事がある。しかし、タッチだけというのは厳しいとボタンを取り付ける事になる。 
 つけてもヒットした訳で成功なのだが、ipodタッチやアイフォーンの登場により、よりすっきりしてボタンも目立たず、美意識も高い商品が出てきた。おそらく、任天堂とアップルは娯楽会社とコンピュータ会社なので、目指しているところが違うであろうが、DSの目指していたカタチをほぼ完成させたのには多少の嫉妬は有ってもいいかもしれない。
 とまあ、ほぼわしの考えなのだが、3DSとやらの開発が進められているという話も耳にした。もう、任天堂は次のステップへ進んでいるのか。なにはともあれ、任天堂のタッチパネルの先見の目はすばらしい。