アナログ放送終了は明日の正午。

 わしは生まれてからテレビがある世代だ。
それも
カラー
始まり。

そして、
アナログ放送育ち
とはいっても
アナログ意識はココ数年のことだが。

明日、
その
放送が
おわる。

画質や音質にこだわらない
わしに
とっては
アナログもデジタルもほぼ変わらない。


モノクロからカラーのような
誰にでもめにみえる
ような変化
ではない。


将来、
わしは
「昔はアナログ放送をみてたんだぞ〜」
なんて
こどもたちに
いっても
違いがほとんどないので
データ放送がなかったんだよ
ぐらいしか
いえないが。


まあ、
どうでも
よいな。
で、

なにがいいたいか、
本当に
求めていた事なのか?
ということだ。
高画質をもとめていたのか?

電波がたりないんだっけか?
もう
わすれたが。


とりあえず、
明日をくるなくるな

まちつづけて
もう
あす

なってしまった。


地デジ蚊
せよ

命令が
くだり

多数決で
きめろや
いるかいらないか
とも
おもうんだが。

ちなみに
わしの
いま
いるところでは
地デジ蚊が
されていない。
「地デジ蚊難民」
とか
言葉を
つくっていたが
これを期にやめる
ひとだっているんだ。
難民なんかじゃない。
「地デジ蚊拒否」
だ。
きっと。

テレビってなんだろうか?
そんな
ことを
終了表示がではじめたころから
おもっていた。
情報を入手するためか?
娯楽か?

生きるためにはひつようなのか?


テレビという存在。
それに
憧れる人もいれば
嫌う人もいる。

一体なんだ。


中心に考えないことが
大切かな。


もう
よくわからん
文章に
なった。

もう
やめよう。

アナログ放送バンザイ!
アナログ放送バンザイ!
アナログ放送バンザイ!


今日もテレビの中で誰かがしゃべっている。
明日はきっと。