コラム 「やめるという感覚」

 「やめる」
それは
ものごとをストップさせてしまう事

心機一転とか
いうのだろうか

「けじめ」
とか
とも
いうかもしれない

何かをやめるというのは
相当な
ことでは
なかろうかと
いつも
感じる
ところが
ある。


「はじめた」
ことを
「やめる」

それは
果たして「達成」

上での
「やめる」なのか
それとも
志半ば
だったり
嫌気が
さしたのか

それは
人それぞれだ

「なにもやめまでしなくても」って
ことが
ある
こういう
ウェブログみたいな
ものも
そうだ。

つくったときは
アピールしておいて
そそくさと
削除して
しまう
人っていうのは
いがいと
多いと思う。

わしは
そういった
感覚には
なれない

この
ネットという
無数の文字の海に
無人島をうかべて
文字文字フィッシングな
かんじで
文字を並べてきている

どれくらいの
分量をかいているか
というのも
多少は大事だが
すくなくても
その
記録



ような
もの

簡単な手続きで
なかった
ことに
するなんて

寂しい
うえに
悲しい


「さっぱり」してる
ひとなのかもしれない

「執着」が
ない
そういう
ことかもしれない


文字を打ち込む
時間を割いた

それを
捨てる
とき

なんとなく

思い出の
半分とまでは
言わないが
一部分が失われてしまうんじゃないかな。


そして、
そこに
訪れた
ひとたちの
記憶や思い出も
消えてしまう

「あの文章おもしろかった」
とか
「また、読みたい」
みたいな
感情を
がっかり
さえるのは
いかがなものか。


不利益なことも
あるのかも
しれないが
自分のつくりあげてきたもの

簡単に捨てられる
ような
風潮
というのは
なくなってほしいものだ。


いま、脳内の
おくにある
お気に入りだったのに
姿を消したサイトたちに想いをはせて。。。。。